山下将軍の財宝
うちのかみさんの母親は山師でした。何もしなくても、娘一人と息子三人日本を行かせたので、その仕送りで十分、お金持ちでした。あフィリピンサイドのタレントのプロモーター業も始めたのでお金には困っていませんでした。ただ一つ欠点がありました。
それはトレジャーハンターだったのです。
第二次大戦中に日本が連合軍に押されて撤退を余儀なくされたとき、東南アジアの各国から略奪した宝物を山中深く埋めたとされる、通称、山下将軍の宝があるといわれていました。
現にフィリピンでは貧しい人が自宅から金が出土してきて豪邸を建てた話とかがあってフィリピン人の間ではまことしやかにささやかれています。
そんな義理の母がまたまた懲りずに地元の市長やデパートの社長たちと組んでルソンの山中深く入っては、宝探しに夢中になってました。そうしているうちに一人の人物と出会いました。その人はルソンの山奥に暮らす日本人で本人は山下司令長官の息子で山下を改名して「アガシタ」と名乗っているそうです。
私はこの人物に会ってみたくなりました。もしかして、ルバング島で発見された小野田さんのような人ではないかと思ったからです。車に揺れること5時間、ルソンの山中深く入り、途中からは車を捨てて、2時間山を二つ超えてとうとう着きました。
そこに行く途中、バナナ畑があり収穫の最中でした。傾斜地なのでカラバオ(水牛)に乗って収穫していました。水牛は牛よりも体が大きく背中にまたがるだけでも大変です。ほとんど手放しの状態で乗りこなす技術には感服しました。そのバナナ畑から3kmぐらいいったところに日本人の家はありました。木造平屋造りで、ナラ(フィリピンの木材で一番高級)で作ったまあまあ立派な家でした。
家の周りには鶏が放し飼いにされていて(10羽ほど)あと猫と犬がいました。
中に入ると、宝探し部隊(妻の兄夫婦とその息子たち、妻の弟)とその山下将軍の息子と称する人がいました。
手ぶらでは失礼と思い、マニラの日本食料品店で買った日本酒の一升瓶を下げていきました。
それを渡すと奇妙なものを見る目で見ていました。
話を聞きたかったので日本語で質問すると、もう40年以上も日本語を話していないので忘れてしまったそうでした。でも東京で生まれて出征するまでは日本で育ったとのことでした。東京の住所を尋ねたところ、ただ一言「トウキョウベイ」いという言葉が返ってきました。
この答えに私はこの人が偽日本人であることを確信しました。
日本で生まれ日本で教育を受けて出征したのは十代後半で、たとえ40年間日本語を使わなかったとしても、一言も日本語を使えないし、住所を聞いても東京湾と答えるとは普通ありえないでしょう。
せっかく長時間かけて、遠路はるばるやってきたことが、徒労に終わりました。
まあフィリピンのことだから、最初からそんなには期待してなかったのでそんなにがっかりはしませんでしたが。
その日はもう帰れないので一晩泊りました。この家は気の利いたベッドもないので床にバニックという日本で言うとむしろのようなものを敷いて寝ました。ただ、床板が固くその上にただ薄っぺらい敷物を敷いただけなので、なかなか寝付けませんでした。
一刻も早く、こんなところから去りたい思いでいっぱいだったので、私と妻と案内役の妻の甥と三人で早々立ち去りました。
帰ってから妻の親にだまされていることを告げましたが、信じてもらえません。
それどころか掘り進んでいくと財宝があることを示す暗号のようなものが出てきたとか、毒ガスにやられたとかリアリティーのあることが次々と起こりました。とうとう最後には宝が出たから、トラック二台用意してくれと電話がありました。
この時ばかりは私も信用して本当に驚きましたが、やっぱり嘘でした。
そんな人騒がせな義理の母も数年前に亡くなり冥土(クリスチャンだから天国か?)のみやげに宝を持っていくことはできませんでした。
でも日本人にも一獲千金を夢見て、この財宝探している人がいるみたいですよ。
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