たまねぎの商売
私の住んでいたヌエバエシハ州は、米の産地であと副業のタマネギの栽培が盛んです。
そこで収穫時になるとあちこちからベジタブルディーラーがジプニーやトラックで買い付けにやってきます。
日本だと、だいたい農協を通して売買しますが、フィリピンの場合は自由に取引します。
私もこの商売に挑戦してみることにしました。
田舎のタマネギ農家に買い付けに行って、遠くの市場に卸すのです。たまたま買い付けの日に理由は忘れましたがわたくしどもの専属ドライバーが用事で休みました。
仕方なく私が運転することになりました。若いころから十数年も毎日のように運転していたので、運転には自信がありましたが、なにしろとんでもない荒っぽい運転をするドライバーがフィリピンには多いのでちょっと心配でしたが、誰も他にいないので仕方なく引き受けました。
30分ぐらい走ると目的のタマネギ集落につきました。
妻が値段交渉をしましたが、どうしても1kg10ペソまでしか下がりません。
そこでもっと山奥の村に行くことにしました。
そこならあまりバイヤーがやってこないので多分安いだろうということでした。少し走ると道路状態が非常に悪くなりました。
前の村のあたりも未舗装でしたが、さらに道路は穴ぼこだらけ。さらにでっかい石がごろごろ転がっている道でした。
まるでインディージョーンズの世界に舞い込んだようでした。
スピードも全然出せず、ほとんど歩く速さと変わらないぐらいのスピードしか出せませんでした。
さらに前進すると大きな川にぶつかりました。前日雨が降ったので水かさが増し、すごい勢いで流れていました。橋は角材を何本か渡して作った粗末なものでした。ほんとにこんな粗末な橋を二トンもある車(荷物を積んだらさらに重くなる)が渡れるのか疑問でした。
もし誤って川に落ちたら、絶対助からないというような速い流れでした。
「本当にこの橋大丈夫なの?」と妻に言うと何の根拠もない自信に満ちた声で「大丈夫、大丈夫、問題ない」と軽く答えました。
もうここまで来てしまったので、引き下がれません(引き下がればよかった)仕方なくそろりそろりと車を動かしました。
脱輪しないように、窓から身を乗り出してハンドルを右に左に来ました。結局何とか、うまくわたり、手と額には汗びっしょりでした。けれどもこれで終わったわけではありません。帰りにはタマネギを満載して引き返すのを考えると、どっと疲れが出ました。
橋を渡ってしばらく行くと集落がありました。
そこの一軒で交渉したら、1kg5ペソにまで下がりました
そこでタマネギを車に満載してまたあの橋を何とかわたり自宅に戻りました。
そして翌日の夜六時ごろ約200km(正確じゃない)離れたバタアンのバランガという町に出発しました。
バタアンは第二次大戦中に旧日本軍がパンパンガまで歩かせ悪評をたてた、“死の行進”で有名な街です。
この地区は漁業が盛んで私の好きなガロンゴン(アジの一種で見た目はイワシ)のティナパ(燻製の魚)が有名です。
特にこのバタアンのティナパは他の産地よりも少し大ぶりで丸々太って脂が乗っている見事なものでした。
私は朝食といえば、ティナパと目玉焼とアサリの味噌汁が定番でした。
私の住んでいたカバナトゥアンからバランガまで途中ピナツボ火山の爆発でグレーの灰に埋もれた町パンパンガを通って約5時間の行程でした。あと困ったのは、タマネギの強烈なにおいと、目にしみることでした。幸いドライバーが戻ったので、私が運転することはありませんでしたが、目にしみて涙が止まりませんでした。
やっとの思いでバランガにつき市場の人たちとの交渉が始まりました。
でもこの日この市場にタマネギを持ち込んだ人が多く、なかなかいい値段で売れませんでした。
何人と交渉しても、買値は安くたたかれました。
持って帰ってもしょうがないので、仕方なく売ることにしました。
往復のガソリン代や経費を引くとたったの700ペソ(約2,000円、当時)しか残りませんでした。
命がけで正に危ない橋を渡ったのに、たった2,000円とは、おれの命もずいぶん安くなったもんだなあとつくづく思いました。
妻は少しでも、儲かったのでちょっとうれしそうでした。
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